青少年科学館に隣接してあるプラネタリウムの
ドームですが、解体していました。
 まるでモスラの卵が孵化した後のように、私に
は見えました。

 夜なべ仕事で、作っていた物が
展示されていました。

 以前、向ケ丘遊園地がありました。
今は自転車置き場になっていますが、
ここは遊園地に行くためのモノレールの
発着駅があった跡地です。

 坂を下りながら出口が近くになった場所に
休憩所がありました。
風情があり、なかなかのもんだと思います。

そうこうするうちに、美術館に到着しました。

 なんとなく「冬のソナタ」の一場面を
思い出します。 (チュンサン ユジン)

 雨ざらしですが、汚れもなく、きれいに
展示されています。
 4つある大きな車輪を動輪と言います。

 この旧国鉄の客車は、昭和23年につくられ、
常磐線経由の上野ー青森間を走っていて、昭
和63年に水戸機関区にて廃車になりました。
 きっとSLもけん引したのでしょう。

次の画像はD51です(^O^)/

 山形県鶴岡市松沢にあった菅原家住宅です。
18世紀末の建物で、ご覧のとおり屋根の一部が
出窓のようになっています。
 この高窓は「ハッポウ」と呼ばれ、美しい曲
線を見せてくれています。
 ここから入場口に戻りました。

達磨さんが神様のように飾られていました。

 榊の小枝とおこわが居間にありました。
神事や慶事の時に置かれるのでしょうね。
 ふと、上を見ると、

とても綺麗でした。

次に入った古民家では蓑が飾られて
いました。

沖縄の建物をもう一つ。
これはなんの建物だと思いますか?
正解は次の画像です。

左から道祖神・庚申塔・馬頭観音が並んでいました。
説明文を読むと、

道祖神 旧所在地は長野県南佐久郡八千穂村畑
 男女の神を表す双体道祖神で地元では「ドウロク
 ジン」と呼んでいる。
庚申塚 旧所在地同上
 万延元年申年11月
馬頭観音 旧所在地同上
 一見「聖観音」のようであるが、頭部に馬の
 顔を彫り出している。


とありました。

 目薬の看板が掛けられていて、伊那街道の
伊那部宿にあった薬屋です。
(長野県伊那市西町・三澤家)

土間ですが炊事場のようです。

いきなりですが、傘立てです。
陶器を傘立てにするとは、豪農なのですね。

 ここが入り口です。撮影禁止ですので内部は
ご紹介できません。
 売店で携帯電話に付ける太陽の塔のストラップ
を購入しました。

 岡本太郎美術館に向かって園内の
歩道を歩きました。雨が降っても濡
れないように、蓋付きのパンフレッ
ト入れがありました。

 蚕を「おかいこ様」と呼んでいる地域もあり、
祠を造り、祀ったのがこの画像です。
「蚕影山祠堂」といい、川崎市麻生(あさお)区の
東光院境内にあったそうです。「蚕影山大権現」
がお祀りされています。

 ネズミなどから食料や大事な物を守るため
の貯蔵庫で「高倉」と言います。高床式なの
で、正倉院をすぐ頭に浮かべました。

石敢当(いしがんとう)
旧所在地 沖縄県宮古郡宮古島

 中国から沖縄方面に伝わった民間信仰で
 邪鬼を防ぐため門口などに建てる


 悪霊・邪鬼など封じるために日本各地に
いろいろな信仰があるのですね。
シーサーとか狛犬も同じように思えます。

 水車小屋に向かうため石段を上がりました。
右側の藁を敷いた道の方が歩きやすかったし、
自分の歩幅で歩けると気持いいものです。
 左の石垣を見ると、

 こういうのを見ると京都太秦の撮影所に
来たみたいですが、ここにあるのは実際
使用していたものばかりです。

 ここは商家の帳場で、手前の箱は
銭箱です。そろばんの五の位に注目
すると、珠が二つありました。そして、
その下は五つ珠です。

 古民家の野外博物館

 生田緑地がすぐの所に「動物注意」の表示板が
ありました。タヌキのイラストだと思いますが、
出会えたら楽しいでしょうね。

 目が緑に慣れていたので、この色彩は
新鮮です。
 このポスターに魅かれた理由は、バスの
下半分の濃い緑色と下地の黄色が、江ノ電
の300形のカラーと似ていたからです。


























 次に見学したのが、山下家住宅だった飛騨白川
郷の合掌造りの古民家です。
 当園に再移築される前は、川崎市内で観光料亭と
して使われていました。
2階には生活用具類が展示
されています。

 水車小屋の前では弁天様が、静かに
微笑んでいます。弁天様の拝んでいる
手と腕の形が「合掌造りの古民家の屋根」
に似ていると思いました。
















































































































































 上棟式の儀礼の道具で、幣束(へいそく)3本、
弓矢2対、棟札が展示してあり、幣束と弓矢は
「大日倭(おおやまと)大工傳」に記述してある
2分の1の縮尺で作成したと説明文にありました。

 動物の足跡クイズの表示板がありました。
少し立ち止まって考えましたが、猫とニワトリ
しかわかりませんでした。

川崎市立日本民家園

 19世紀中期のもので、長野県長野市佐久穂町畑
にあったものです。車輪の直径は3.6メートルで
主に製粉・精米・蕎打に使用されていたそうです。
 最大のSLであるC62形の動輪の直径が1.75メー
トルですから、かなり大きい車輪です。

 向ケ丘遊園駅に到着しました。
なんとか雨は降らずにいてくれた空でした。
園内には紅葉がたくさん植えられていまし
たから、11月に入り、しばらくしたら美しい
風景が、訪れる人々を楽しませてくれると思
います。

 
ご覧いただき、ありがとうございました。

 地図を見ても、今日はホンの一部しか歩いて
ないと気付かされました。
 門を出て、駅方向に歩いていた私の目に入っ
たのは、





















 小雨でも降りそうな雰囲気なので、
お茶も飲まず、軽食も食べず、美術
館をあとにしました。
 駅に戻ります。

 森を見ながらお茶が飲めるテラスが
あります。

 こういう緑豊かな場所が近所にあったら
毎日でも来たいです。

 メタセコイヤの木々が植えてありました。
森林浴にはもってこいです。この木は一名
アケボノスギ(曙杉)とも言うそうです。

 この民家園の入場口付近に休憩所があり、
軽くかいた汗を拭き、冷たい飲料を飲んで
いると、カマキリがやってきました。蛇の
ようにジッとしているところが不気味です。

 今年、横浜市都筑区のとある路上を歩いて
いたら子供がしゃがんで、ある昆虫を見てま
した。そばに行って見ると、なんとその昆虫
は「ナナフシ」でした。
 以前から一度は見てみたいと思っていたの
で、感動ものでした。このカマキリ君を見て
ふと思い出しました。
 休憩を終え、広い緑地内を少し散策します。

 囲炉裏に火を入れている古民家には
説明する人がいて、観光客が囲炉裏端に座り、
古民家の由来や器具の説明を聞いていました。

 屋根の角の裏ですが、こういうふうに
縄を結んでいたのですね。

 この看板は足踏脱穀機に付いていた
看板です。右から読みます。

屋根の上に草が育っていて、実に渋い。

 土間の地面の画像です。堅くてとても土とは
思えません。器具を使いペッタン、ペッタンと
土を固めたのでしょうね。大相撲の土俵作りにも
その土を固めるためペッタン、ペッタンやってい
る様をテレビで見たことがあります。

 白川郷の合掌造りの古民家の裏手に行くと、
蕎麦等を食することができる施設がありま
したが、中に入ると満席の順番待ちなので、
ガッカリして家屋を出ました。

 その前には休憩するスペースがあり、
猪おどしが「コツーン」と乾いた音を
聞かせてくれます。

 リヤカーを知っていても「大八車」を
知る人は、少なくなってきたかも知れま
せん。

 向ケ丘遊園駅の改札口を出る手前に
生田緑地や岡本太郎美術館の案内図が
あったので確認しました。
 ここを訪れるのは30余年ぶりです。
かなり街並も変わったと思います。

ゴミ捨て場にあった自転車ですが、
なんだか、かわいそうです。

 数ある立ち食い蕎麦屋の中で、この
「箱根そば」はかなり上位のランクに入
ると思います。かき揚げ天ぷら蕎麦が、
一番のお気に入りです。

22.10.19

 小田急線向ケ丘遊園駅から10分余り歩くと、
生田緑地という緑豊かな丘陵があります。
10月のある日、その丘陵内にある「日本民家
園」を訪れました。

 機織り機もあり、興味がある方はぜひ
来園してみてください。

カマ神様に見送られ、屋外に出ました。
ここから古民家を見学します。

ひぇー、撮った自分が怖がっています(T_T)

 カマ神  (宮城県栗原郡高清水町)

「家の火を守り、魔物の侵入を防ぐため、
台所のかまど近くの柱にまつった」

と説明文にありました。
このカマ神をアップで撮ると、

 ノコギリですが、木材によって使い分けた
のでしょうね。

 石段を上がり、屋内に入り入場券を購入
しました。この建物の中にも少し展示物が
あります。

一斉に矢印が右を向いています。

おわり

また、竹の籠を作るにはどういう順番で
編むのかの説明もありました。

は、曇りでした。