『飾りじゃないのよ涙は』
作詩・作曲井上陽水 編曲萩田光雄

 当然ですが、この曲は陽水もコンサートで歌っていますが、

陽水の声は高音のせいか、難しい曲が多いと感じています。
「中森明菜は大したもんだ」というのが当時の私の感想です。
 昭和59年(1984)の曲です。

『サヨナラは私のために』
作詩川村真澄 作曲林哲司 編曲船山基紀

 明るくハッピーなアイドル歌手の曲から、「大人の女性」へと
意識する転換期に発売されたレコードで、昭和61年(1986)の
作品です。
 デビュー当時もそうですが、ちょっと鼻にかかった歌声が魅力
でした。

『夏をあきらめて』
作詞・作曲桑田佳祐 編曲若草恵

「この曲を歌うには、どのように歌ったらいいのですか?」
「それは歌うのが、イヤでイヤで、どうしようもない気持ちで
歌うのです。」
 あるテレビ番組で司会者が研に聞いた回答でした。会場は爆笑でした。
私もテレビの前で笑いましたが、よくよくこの曲を聴いてみると、また
歌詞を読んでみると、「なるほど」と頷けるような気がしました。
 サザンオールスターズのカバー曲で、昭和57年(1982)に発売です。

「懐かしい」と思った方は、私と同じ世代かもしれません(^^;

 記憶が定かではないのですが、さくらカラーフィルムをある程度買うと、
その販売店から蒸気機関車の音が録音されているソノシートがもらえました。
これが欲しくて欲しくてたまりませんでした。
 ソノシートは原料はたぶんプラスチックだと思いますが、向こう側が透き
通るレコードで、ドーナツ盤同様に針を落とすと音が聞こえてきます。
 御存じない方もいるのではないかと思い、次の画像をソノシートにしました。

<日本の鉄道シリーズ> 『雨の布原三重連』

 中学生の時、長崎から転校してきたM君の影響で蒸気機関車のトリコに
なってしまいました。最初に撮影に行ったのが、中央西線でした。夜明け
に塩尻駅でD51を見たのが最初です。
 ジャケットの写真は廣田尚敬で、当時からこの方の写真が好きで、ご自宅
に会いに行ったくらいです。中学生の私を快く迎えてくれました。今でもテ
レビで時折拝見しています。

 布原(ぬのはら)信号所は伯備線にあり、新見(にいみ)と布原間がファンの
メッカと言っても過言ではない場所でした。布原信号所を出発した三重連は
こう配がきつい鉄橋に向かい豪快に煙・蒸気を出します。ホント、シビレマス。

『ニューヨーク・シティ・セレナーデ』

 映画「ミスター・アーサー」のテーマ曲です。
ジャケットの裏に書いてありますが、ニューヨークの
夜空にこだまする、都会的なセンスを感じる曲です。
昭和56年(1981)の作品です。

『ラ・イスラ・ボニータ』LA ISLA BONITA

 この曲をテレビCMで知りました。テンポがよく、心地よさを
感じたので、全部聴いてみたいと思い購入しました。
 ジャッケットに赤い文字で「来日記念シングル」とありますが、
それは昭和62年(1987)の日本公演のことです。

『フラッシュダンス〜ホワット・ア・フィーリング』

 映画『フラッシュダンス』のビデオを当時借りて見ましたが、ダンスが
すごすぎます。瞬きを忘れるほど、踊る姿を追っていました。
 しかし、この曲はドラマ『スチュワーデス物語』(昭和58年開始)の
主題歌と言った方が印象が強いかもしれません。
 堀ちえみが「村沢教官!」と叫び、村沢教官役の風間杜夫が「松本、お前は」
などと呼ぶ場面を何度見たことか。また、忘れてならないのは、毎回片平なぎさ
が、手に付けていた白い手袋の先を口で取りさり、村沢に迫っていたシーンを
楽しみにしていました(^O^)

『シェリーに口づけ』 TOUT,TOUT POUR MA CHERIE

 当初は『可愛いシェリーのために』という曲目だったそうですが、
2年後の昭和46年(1971)に『シェリーに口づけ』に変更しヒットしました。
 この歌、最近のCMのBGMで聞いた気がします。

『涙の乗車券』(チケット・トゥ・ライド) Ticket To Ride

 昭和40年(1965)4月に発表された9枚目のオリジナルシングルです。
昭和30年代から昭和40年代前半は、外国のドラマや音楽がドッと流入して
きた時代かもしれません。
 代表的なドラマは『ララミー牧場』『ローハイド』『宇宙家族ロビンソン』
『パパは何でも知っている』『カレン』などあげたらキリがありません。
 外国ドラマ、特にアメリカですが、土足(革靴)で家に入り、生活している
のには驚きこう思いました。「どうして足がムレないのだろう?」

『抱きしめたい』 I WANT TO HOLD YOUR HAND

 ビートルズが日本航空のハッピを着て、タラップを降りてくると
いう白黒のニュースを時々テレビ番組で放映しています。武道館で
のコンサートはすごかったらしいですね。
 この曲は昭和39年(1964)のシングルで、日本デビュー盤となっ
ています。B面は『こいつ』(THIS BOY)です。
 年代的に言って、ひと回り上の世代のグループなので、私はビート
ルズよりモンキーズの方がなじみがあります。

『大阪しぐれ』
作詞吉岡治 作曲市川昭介 編曲斎藤恒夫

 昭和55年(1980)2月に発売され、その年の第22回日本レコード大賞の
最優秀歌唱賞をこの曲で受賞しました。大賞は八代亜紀の『雨の慕情』です。
 昭和39年(1964)の第6回日本レコード大賞最優秀新人賞を『アンコ椿は
恋の花』で受賞していましたから、レコード大賞、最優秀歌唱賞そして最優秀
新人賞の三冠を、氷川きよしが出現するまで、唯一受賞していた歌手でした。
 また、このレコードの歌詞カードには、手拭を用いた踊り方の写真の連写が
掲載してあります。

『北の宿から』
作詞阿久悠 作曲小林亜星 編曲竹村次郎

 昭和50年(1975)にリリースされ、翌昭和51年(1976)第18回
日本レコード大賞を受賞しました。ちなみに、その時の新人賞受賞の
ひと組にビンクレディーがいました。

 東京都世田谷区に二子玉川園という遊園地がありました。
昔、親に連れられて行ったのですが、小さな舞台で、白っぽい着物を
着て、力強く歌っていた女性がいました。後にその歌手が都はるみだっ
たことを知らされました。

『氷雨』
作詩・作曲とまりれん 編曲竜崎孝路

 昭和57年(1982)7月に発売されましたが、現在もカラオケ
などで歌われている息の長い曲です。
また後に日野美歌も歌っ
てました。
 男性の歌い方と女性の歌い方が楽しめる、いわば一粒で二度
美味しい曲かもしれません。

『浪曲子守唄』
作詩・作曲越純平 編曲福田正

 発売は昭和38年(1963)12月です。
当時はジャケットにあるような姿で演歌を歌っていた男性歌手が
多かったような気がします。
 この曲を聴くときは、なんとなくですが、濃いめの日本茶と厚
めに切ったヨウカンがそばにあると、お似合いのような気がします。

『舟唄』
作詩阿久悠 作曲浜圭介 編曲竜崎孝路

 昭和54年(1979)5月の曲です。
 学生時代の思い出の一つですが、ある先輩が真剣な顔をして、
「オレは、八代亜紀の弟になりたい」と訳のわからないことを
言っていたことが忘れられません(−−;

『川の流れのように』
作詩秋元康 作曲見岳章 編曲竜崎孝路

 平成元年1月11日、生前最後に発売されたシングルです。
そして、その年の6月24日にご逝去されました。
今も思うことですが、もっともっと長生きしていただきた
かったです。

(敬称略)

『WE ARE THE WORLD』 ウイ・アー・ザ・ワールド

 
アフリカ飢餓救済チャリティ・レコードです。
レコード会社や所属事務所の枠を越え、全地球的・人道的見地に立ち
完成したレコードです。
 レイ・チャールズ、ボブ・ディラン、マイケル・ジャクソン、
ビリー・ジョエル、シンディ・ローパー、ダイアナ・ロス、ポール・サイモン、
スティービー・ワンダーなど51人のアーティストが参加した作品です。
 昭和60年(1985)5月にリリースされました。

『越冬つばめ』
作詞石原信一 作曲篠原義彦 編曲竜崎孝路

 この歌詞の中にある「ヒュルリ ヒュルリララ」という所がとても
印象的な歌です。この文字だけで、雪が風に舞う、吹雪のようなイメ
ージが頭に浮かびます。
 昭和58年(1983)日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞曲です。
この年の大賞は、初の二年連続大賞受賞に輝いた細川たかしの『矢切
の渡し』でした。

「車は英語で?」

EP盤レコードジャケット 【その3

『みちづれ』
作詞水木かおる 作曲遠藤実 編曲斉藤恒夫

 私はこの歌手のことを思うとき、すぐに小林幸子のことが
頭に浮かびます。ヒット曲に長年恵まれず、苦労して、やっと
スポットライトを浴びたことが共通すると思うからです。
 昭和47年(1972)『少女は大人になりました』でデビューし、
そして昭和54年(1979)に大ヒットした曲です。

『あばよ』
作詞・作曲中島みゆき 編曲クニ河内

 昭和57年(1982)9月にリリースされ、オリコンの1位に輝き、
研の最大のヒット曲になりました。
 歌手以外では、『カックラキン大放送!!』で野口五郎などと
コントをやっていたのが印象的です。