「昭和カレーライス」
なら絶対ジャガイモが具に入っていますよね。
ジャガイモ大好きです。
 カレーの文字の左に人の顔がイラストされ
ていますが、見た瞬間、オリエンタルカレー
のパッケージに印刷されている人物に似てい
ると思いました。

 踏切を渡り、しばらく歩くと指導標が
立っています。

【町屋址】(まちやあと)

 この周辺は、鎌倉繁栄当時、商売する店
などが多く集まった所で、その中央の大通り
を「大町大路」呼んでいました。その他、米
町、辻町、魚町、名越などの町屋の区域があ
り吾妻鏡にも書かれているそうです。
 何気に指導票が立っているので、気づかな
いで通り過ぎるところでした。

参拝が済み、石段に向かうと、
「おぉー! いつのまに」

 日蓮上人が立っていました。
そばを通る時、背すじを伸ばして
歩きました。なんとなく(^^;
「元八幡」はもうすぐです。

冬の材木座

へー、温泉玉子付きか、やるなぁー。

 新日鉄と住金が合併を検討している
記事より、大相撲がどうなってしまう
のかに関心があります。

 おばあちゃんが、日向ぼっこを
して石段に座っていました。

 石段の右側に元八幡の指導標がひっそり
立っていました。夏になったら草木で隠れ
てしまいそうで、数ある歴史指導標の中で
あまりいい環境ではない、と思わずにはい
られませんでした。

 土に埋めれば、土を調節して真っすぐに
なりますが、土台ごとむき出しでは、それ
は無理ですね。

 歴史指導標がわずかなスペースの
歩道にデンと設置されていました。
 また、正面から見ると右に傾いて
いました。それが次の画像です。

 光明寺を出る際、大師像があり木の箱に
安置されていました。後方が工事中だった
ので、像を保護していました。
 ちょっと珍しい光景です。

昭和11年(1936)3月建立 鎌倉町青年団

昭和4年(1929)3月建立 鎌倉町青年団

昭和2年(1927)3月建立 鎌倉町青年団

(中編)

中編終了

 駅前の井上蒲鉾店の前にある人工池
です。画像中央にこの池の主がジッと
していました。
(黒)猫と魚、相性がいいんだか、わる
いんだか。

 点在する商店を歩きながら見ていると、
雑誌に掲載されたことがある「アメリカヤ」
という文具・玩具店がありました。その雑誌
を読むと「先代が昭和元年に始めた店」とあ
ります。まさに昭和そのものですね。

 蒲鉾店を左に曲がると、JR鎌倉駅が見え
て来ました。後編は、お馴染み、そして恒
例、江ノ電沿線風景です!

 空腹を覚えたせいか、食べ物の画像が
多くなりました(^^;

 鎌倉駅はもうすぐです。

 狭い路地を抜けると、いきなり横須賀線の
電車が走っていました。

「元八幡」です。意外と小さいので
正直びっくりしました。

 1063年(康平6年)源頼羲(八幡太郎義家の
父)が京都の石清水八幡宮の分社を、この地
に勧進しました。その流れでこの井戸を「
石清水の井」と言います。

 消火器は通常家の中にあるものという
先入観がありましたが、この町内では
火災が生じた時、すぐに消化活動ができ
るよう外に設置しています。、
 早期対応で、最小限の被害にとどめる
ためで、思わず「なるほど」と感心しま
した。またここを通行する度、赤い消火
器に目がいき、「火の用心」という意識
を確認する、という相乗効果もあると思
います。

【乱橋】

 すぐそばにある石の橋は、鎌倉十橋の
一つで、またの名を濫橋とも言うそうです。

 左手に九品寺が見えてきました。小じんま
りしたお寺で、この画像は裏門の扉です。桐
の紋が表現されています。
 でも、どう見みても私には、スピルバーグ
監督作品の「E.T」に見えてしまいます(^^;

 少し歩くと懐かしいアイスクリームが
入っている冷凍庫がありました。こういう
冷凍庫に入っているアイスはなんとなく美
味しそうに思えます。
 アイスクリームの棒に
ホームラン」と
あったら、もう一本もらえるなんて夢があ
りました。

 暖かいせいか多くの鳶が、森昌子の歌の
ように「ひゅーるりー♪」と鳴いていました。