秋の夕暮れはつるべ落とし。
まだまだ行きたい所がありましたが、
今日はこれまでとして、帰路につきました。

帰る電車がやってきました.。

ここにも彼岸花が、かたまって
咲いていました。

 石段を降りていくと、芝生の上に大人一人
では狭い、小さなテントが張ってありました。
いったいなんの為にあるのでしょうか。
クイズ番組だったら「さて、ここで問題です」
とくるのでしょうが。気象の関係かなぁ。

 公園の頂に登ると、病原細菌学という分野を
開拓した世界的細菌学者であり、北里柴三郎博
士の師あるコッホ博士の記念碑があります。
1908年ご夫妻が来日し、74日間滞在しましたが、
その2年後にコッホ博士はこの世を去っています。

 稲村ケ崎駅で下車します。
駅名は「稲村ケ崎」ですが、町名は「稲村ガ崎」
となっていて、「七里ケ浜」も同様です。
 ちなみに、稲村ガ崎から小動(こゆるぎ)崎までの
海浜は全長42町あり、6町を1里とするので、この
一帯の海浜を七里ガ浜と呼ぶそうです。

 湘南道路(国道134号)沿いに歩くと、鎌倉
海浜公園が見えて来ました。
 1333年5月21日新田義貞の軍が鎌倉に攻め入る
には陸路からは無理なので、この稲村ガ崎の岬を
回ることを考えました。
 義貞は海の神(竜神)に祈願をこめ、黄金の剣を
海に投げたところ、潮が引き鎌倉に攻めいること
ができた、という伝説がある有名な場所です。
 このことは、

雪ノ下と稲村ガ崎 (後編)

今回もご覧いただきありがとうございました。

 車窓から撮影した江の島駅のひとコマです。
少し体がご不自由な方を駅員さんは、付き
っきりでお世話をしていました。
 研修や訓練をいかに受けようが習慣化された
意識(スキル)がなければ、なかなか手足が動きま
せん。でもご覧のとおり、駅員さんは自然な動き
で、また相手に負担をかけず、声掛けをされてい
ました。
 江ノ電の車輌・沿線の風景、そして江ノ電の
社員の方々の努力が、鎌倉ー藤沢間の魅力を支
えていると思います。

 冬にイルミネーションをほどこし、駅に
訪れるお客さんに見てもらおうとその電飾の
一部が柱に巻きついてありました。
 幼子が湘南の海を見つめています。

恒例の2011年江ノ電沿線カレンダーが
10月13日から発売されます。このカレンダー
は田口雅巳画伯の装丁・描画ですが、残念
ながら画伯は今年7月に永眠されました。
今回が画伯の最後のカレンダーとなります。
 毎年購入していたので、早めにゲットしたい
と思います。(数量限定)

 鎌倉高校前駅に小さいながらトイレが
あるとは知りませんでした。旅人にとって
トイレの位置を知っておくことは大切な
ことです。

 鎌倉高校前駅に向かう途中、300形が
先頭でやってきました。いいですねー。

 江ノ電名物?線路またぎ店もあります。
珈琲やお茶などのお店です。鎌倉は沿線
に限らず、「え!」と思う場所にお店が
あり面白いです。

半そででした。

午後の日差しを浴び江ノ電がやってきました。
車掌さんは、想像どおり、

 線路沿いに足を向けました。
木製の電柱が半分に切られ、その頂に
ネコジャラシが成長していました。

 鎌倉に温泉があると聞いていましたが、
ここにありました。偶然の発見です。

入り口(出口)にある自販機で、私は「梅よろし」
がよろしいです(^o^)

下に降りましょう。

公園の中腹から見た風景です。

 木陰でぼんやりと海を眺めながら時を過ごす
ことは、贅沢かもしれませんが、ちょっこしの
時間でも海を見ていると、気持ちが癒されます。

 下を見ると、ゆるやかな波が日差しを受けて
いました。
 また、遠くで釣りをしている人もいました。

公園から見た江の島です。

 入り口付近にある「稲村崎」指導標に記述して
あります。
 話は変わりますが、手話で「新しい」という
単語の動作は、胸元に両手をグーにして、前に
少し出しながら、手の平をパーにします。これは
新田義貞が剣を海に投げ出した仕草が手話源と
なっていて、新田の「新」を引用しています。
 この伝説が手話の世界にも継承されています。

 稲村ケ崎駅近くにある「偕楽」で昼食を
とるのが私の定番です。営業時間が平日は
短いので要注意です。
 注文したのは、
 

 黒塀に竹を縦にはめた模様は、シンプル
ながら飽きません。ちょっと立ち止まって
眺めていました。

 すぐに目に付くのが朱色の鳥居ですが、
まっすぐ行くとJR横須賀線の踏切があり、
佐助稲荷・銭洗弁天方面に行けます。
 左に曲がり、小町通りに出て駅に向かい
ましたが、画像左手にカレー屋があり、そ
の匂いに食欲がそそられました。

オムライスです(^_^)/

この江ノ電に乗車し

 ラーメンを食べると、たちどころに汗が出る
日中の陽気でしたので、冷たい飲み物・食べ物が
まだ主役の一日です。あじさいは鎌倉を代表する
花ということで、それを模したソフトクリームで
す。
 
抹茶と言えば宇治や京都を思いますが、鎌倉と
調和した「古都」が隠れテーマの一品でしょうか。
 小町通りに出るため角を右に曲がりました。

 段葛と平行して商店が並んでいますが、
ある路地を見ると、地面にレールが設置
してありました。ビールや日本酒の瓶や
その他重い荷をトロッコに積み、奥の倉庫
に運んだんだ、と想像しました。

源頼朝公の墓所を後にし、鎌倉駅に向かいました。
 ちなみに、氏に「の」が付いているのが朝廷(天
皇)より賜った氏と記憶しています。例えば、平(の)
清盛・柿本(の)人麻呂・藤原(の)道長・菅原(の)道
真、橘(の)諸兄となり、対して、その土地の名称や
先祖から伝わる氏には「の」が付いていません。
足利尊氏・松平清康(家康の祖父)・織田信長などです。
 ただ、どこにでも例外はつきもので、豊臣という
氏は朝廷から賜ったにもかかわらず、豊臣(の)秀吉
というように「の」は付かないまま読んでいます。

 清水(の)次郎長?それはちょっと・・・(-_-;

大正6年(1913)3月鎌倉町青年会建立

おわり