すぐそこに八幡宮があるのですが、休憩所で
足を休めることにしました。
 雨の日は知らず知らず体力を使うので、休憩所
を見つけたら、サッさと休むことにしています。
 この実はそこに咲いていたもので、ザクロの実だ
と思うのですが、どうでしようか。
 突然、「キッキッ!」と鳴き声がしました、その方向
に顔向けると、

 

 その池は、画像の右にある「源平池」だと思います。
八幡宮の鳥居をくぐり、左側に立っているのが
この源平池の歴史指導標です。

 この池を造った理由はいろいろとあるそうですが、
その一説に、頼朝の妻の政子が源家が栄えることを
願い、東の池には白い蓮、西の池には赤い蓮を植え
させて
源平の旗の色を表したと伝えられていて、
それで「源平池」という名称がついたということです。
 源家は白、北条氏は平家の家柄ですから赤という
ことなのですね。
          (後編に続く)

 八幡宮の「八」という文字は、蛇でもツチノコでも
なく、鳩をかたどったものです。

 野生のリスが電線をスタコラサッサと軽快に
走って行きました。
(画象中央に写っています。)

 前の画像の付近に立っている歴史指導標です。
「二十五坊舊蹟」と言います。
 この碑文を要約しますと、源頼朝の時より、八幡
宮の僧侶が住む二十五坊地域と、僧官が住む別当
坊に分かれていたそうです。
 1400年頃に坊から「院」に呼び名を変えましたが、
戦国時代に入り、鎌倉管領の力が衰えると、院の
数が七院だけとなり、のちに徳川家康が五院増やし
ましたが、明治維新後は、全て無くなってしまったと
のことです。

 以前、大分県から来た友人が「雪ノ下」という
町名をえらく気に入っていました。私も雰囲気の
ある町名だと思います。
 ちなみに、八幡宮は雪の下にあります。

 あ・うんの呼吸とはよく言ったものです。
 鳥居は、ここからは神域という目印で結界
と言われていて、その神域に悪霊が入らな
いように、恐い顔して番をしているのが狛犬
の役目、と考えますが、他にいろいろと諸説
があると思います。
 それにしても立派な狛犬です。

 建長寺方面に向かって右側の歩道を歩いて
いると、見逃してしまいそうな鳥居があります。
門が閉まっているので、「行ってもしようがない」と
思われがちですが、私は左右の狛犬に注目しまし
た。

 明月院は、森の中にありとても静かです。耳を
休めるにはもってこいだと思います。
 この奥の石階段を登り切ると、視界が広がり、
建物の縁側に座り、ちょっとした枯山水の庭を見る
ことができますが、今回は時間の関係で、入口で
雰囲気を味わっただけで戻りました。
 おいしそうなラーメンの香りだけ味わって、ラーメン
屋さんを出るような気分です。

 

 こういう表示は、初めて来た人にとって
ありがたいです。

 先週、あるヒラメキがあり、一週間後の平成20年
7月7日再び、鎌倉に出向きました。

 建長寺を横目で見ながら通り過ぎました。
 途中、雑誌にも出たことがあるお煎餅屋さんが
あり、ザラ飴をまぶしたのと、醤油漬けされたのと
二種類購入しました。
 帰宅後食べたら、素朴でおいしかったです。
お茶受けに最高でした。

紫陽花ほど雨に似合う花はないかもしれません。

 今日はJR横須賀線の北鎌倉駅で下車しました。
八幡宮をメインの目的地として観光するなら、この
北鎌倉駅で下車して行く方が、効率的でいろいろ見
て回ることができると思います。
 北鎌倉の駅自体、円覚寺の中にあると言っても
過言ではないほど至近距離にあります。
でも、今日は雨でした(−−;

前編おわり

 私が愛想を振りまいても、微動だにせず、
無視されました(^^;
毅然とした態度に、やはり武家の町に住む
生き物なんだ、と妙に納得させられました。
付近の池からやって来たのでしょうね。

 静御前が義経を思い、涙して舞ったという
舞台も綺麗に飾り付けがされていました。

七夕の日なので、その飾りが綺麗でした。

 いよいよ鶴岡八幡宮に来ました。北鎌倉から
来ると、本殿の脇から入る形になります。

 円覚寺には幾度と来ているので、今日は
スルーして明月院方面に歩きました。

(昭和12年3月建立 鎌倉青年団

(大正7年3月建立 鎌倉青年会)